浮世絵と布団

天保8年から嘉永6年(1837~53)にわたって書かれた『守貞漫稿』にはと記されています。


これによっていえば、元文(1736~40)頃まで京阪にも夜着を使う習慣がのこっていたそうです。


しかし、あとは全く掛ブトン(「五幅・布団」とあるのがこれにあたる)にとってかわられたということになります。


そのきざしがすでに胴元禄の頃にあったことを知るのです。


なお『守貞漫稿』には布団 羽毛のことを「大布団」として「敷布団」と区別する呼び名のあったことが示されています。


この大布団がさきに「五幅ノ布団」とあったものにあたることはいうまでもないでしょう。


・・・こうしてみると、嵐雪の句に「フトン着て寝る」とよまれたフトンとは、おそらく額仕立(鏡仕立)の五幅の大布団であり、それなればこそ京都の東山にみるようなフソワリとした寝姿がえられたことが理解されます。


・・・以上は私が主張している説ですが、これに有力な反論があらわれたので紹介しておきましょう。


浮世絵の研究家であり、また近世の時代考証家としても名高い林氏が『時代風俗考証事典』(1977年刊)の「夜着と蒲団」の項に、上にのべてきた話の内容をかなり詳しく引用されました。


その上で、嵐雪の句と『花屋日記』の文面だけで元禄頃から掛蒲団があらわれるとみるのは早計と主張されています。


氏の見聞にふれた限りでは、天保13年(1842)頃、七代目市川団十郎(白猿)が、京都で詠んだ狂句に


「ふとん着て寝たる寒さや東もの白猿」


・・・というのがあり、この句を記載した『世々の接木』という写本に


「江戸にては寝る時ふとんを用ひぬ也。」


・・・と注記しているものが一つあるのだそうです。

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